<真の豊かさと慣れ>

お金と幸せは、必ずしも相関しない。 大金持ちでも、奥さんが絶世の美女だったとしても、慣れると楽しくもなんともない。

いい家に住み、いい車に乗り、毎日のように贅沢な食事をしていても、慣れれば「ありがたみ」が無くなってしまう。

長期に及ぶ海外旅行で、日本に帰ったら「肩まで浸かる日本の風呂にゆっくり入りたい」と思う。 ところが、帰国して数日もすれば、慣れて、その「ありがたみ」を当然のように感じてしまう。

「お金は稼ぐことより、賢く使う方がずっと難しい!」この言葉は、お金に多少余裕のある方だと思う。 お金だけ手にしても、人生を楽しむコツを知らないまま、充実した日々を送れないのも現実です。

さて、あなたは「真の豊かさ」を求めて生きる、心構えはできていますか?

物質的な豊かさ、外観的な豊かさは、慣れると飽きます。

人に対しての思いやり、人を許す心。

真の豊かさとは、心の豊かさではないでしょうか。

 

 

 

 

<お墓参りは誰のため>

わが生命は、父母によってこの世に生み出されました。 父母もまた、祖父母に生命を享けています。

祖先がいなければ、両親も今の自分も、子供も孫たちの存在もありません。 父母、その父母と連綿と命が続いてきたからこそ、今の自分がある。

同時に、親祖先を大事にすることが、ひいては、自分自身の命を大切にすることでもある。

私は、両親のお墓が近くにあるので、頻繁にお墓参りをさせて頂いています。 まずお墓の清掃、お線香を手向けてから、家のこと、子供のこと、仕事のことの近況を報告し、今の自分の幸せを感謝します。 ここで、親祖先と幸せを交換します。

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お墓参りができる私の幸せと、お墓参りに来てくれたと、喜んでくれる親祖先の幸せ。 このお互いの幸せの交換の場が、お墓だとおもいます。

お墓は、物理的にお骨を収めている冷たい石ではなく、精神的に親祖先と自分が向き合う、あたたかい場所なのです。

つまり、お墓参りは、自分も幸せになれる、自分の為でもあるのです。

今日は「秋分の日」お墓に行って、親祖先と語り合おう。

感謝をしよう。幸せになろう。